日本刀を研究いたしますには、最も初歩として、その刀身の各部分的の名称、または簡単にその使用上の理由を知っておく必要がありますから、まず順序として、各部分の名称から説明いたします。
一、 反り
刀身が背部の方へ湾曲しているのを反りと称します。時代によりまして、その反りに、多少の相異があるのであります。
上古時代の刀身には、図1の如く反りが少しもなかったです。即ち直刀であります。
奈良朝の末期(1156年前頃)、坂上田村麻呂東征時代には、直刀と湾刀と両方が使用されたとありますから、この頃から、反ったものがそろそろ使用されたと思われます。
平安朝期の平将門や藤原純友の逆いた、天慶の乱(1000年前)前後には、図2の如く完全に反りが起きました。
それは、その頃から、斬る事を本体とする馬上戦が、戦の主体となったこと、日本人本来の争闘の性質が、敵を突くというよりも、斬る、打つ、という事にあり、斬るには反りのある方が使いいいのであり、全く必要のしからしむるために反りができたのであります。
それでありますから、西洋流の突きを主とする剣法が入ってきた戦国時代になりますと、図3の如く反りが少なくなったのであります。殊に戦国時代には、馬上戦でなく徒士戦を戦法の主体といたしました。
二、 棟
棟とは、図4の如く、刀身の背部全体の総称であります。
三、 庵
庵とは、図5の如く、人家の屋根の如くになっているので、これを庵といいます。
棟の使命は、刀身を使用して、敵と斬り結ぶ時に、棟を返して、敵の斬りこんでくる刀を受けるものと一般に言われているのでありますけれど、そう中々自由自在に、刀身を返す事もできにくいことでありまして、その多くは、刀身をやや斜めにして、棟角で受け止めたものが多いようであります。
その証拠には、現在残されております幾多の刀剣には、切込みと申しまして、往年の凄まじい激闘の跡とみられますものが、残されてありますが、大抵の切込は、図6の如く、棟角にあるのであります。
切込は、これを疵として取り扱いません。往年の功績を物語る立派な痕跡でありますから、愛刀家は、その刀剣の持つ名誉として、寧ろ誇りといたしております。
殊に、その切込の中へ敵の刃の喰い入ったものなどが折々残されてあります。
その家に伝わっている太刀などにも、刃の喰い入った切込が立派に残されております。
棟には、図7、図8、図9の如き種類があります。
行の棟には、庵の高き図10の如きものと、図11の如く低きものとあります。
四、 鎬
鎬とは、図12の如く、刀身の中央部より、やや棟の方へ寄って、元から先まで、ずーっと一直線に境界線の如くなって高くなっているところを申します。
それでありますから、敵と斬り結びます場合に、お互いの刀が、摺り合います時には、その高くなっております部分が殊に多く摺り合いますから、これを「鎬をけずる」などというのであります。
上古時代の刀身には図1の如く鎬のないものが多いのでありまして、これを平造と申します。上古の末期時代には、図13の如く、刃先の方が、急激に落とされたものが造られました。これを「切刃造」といいます。丁度「切り出し小刀」のようになっているものであります。
然るに、用途上その切刃の高い部分が、奈良朝期には入りましてから、順次棟の方へ寄ってきまして、現在の刀剣の如き鎬になったのであります。
五、 身幅・切先・重・平肉
身幅とは、図14の如く、刀身の棟から刃先までの幅の事をいいます。元の方を「元身幅」、先の方を「先身幅」といいます。
身幅には、広いものと、狭いもの、頃合のものとあります。
切先とは、図15の如く、「横手」と申します筋から上部を「切先」といいます、丁度「扇に地紙」の様な形になっております。
切先には図16の如く、大切先、中切先、小切先とあります。
重とは、図17の如く刀身の全体の厚さをいいます。
平肉とは、鎬より刃先までの肉の事をいいます。図18の如く平肉の厚いものと図19の如く薄いものとあります。
身幅の狭い、小切先で、平肉が厚いものは、誠に優しく見えるので、平和時代に多く使用されました。
反対に、身幅が広く、中切先か大切先で、重ねも薄く、平肉も薄いものは、見るからによく斬れそうであります、これは争闘時代に使用されております。
(NHK「ラヂオ・テキスト 刀剣講座」より。)