弊社所蔵の「賀州住兼若辻村又助」が公益財団法人日本美術刀剣保存協会発行の「刀剣美術 六月号 」に掲載されましたので、以下に掲載致します。
刀 銘 賀州住兼若辻村又助年五十三歳造之 寛文四年八月吉日
長さ二尺二寸九分弱 反り三分強 鎬造 庵棟
(地)板目肌ややつみ、地沸厚くつき、地景細かによく入り、かな色黒味がかる。
(刃)箱刃乱れ主調に耳形の刃・小のたれなど交じり、足入り、少しく葉交え、匂口やや深く、よく沸づき、処々バサけ、少しく沸裂け・ほつれを見せ、金筋・砂流しよくかかり、匂口明るく冴える。
(帽子)直ぐに小丸。
(講評)初代兼若(甚六)の三男で新刀兼若の名跡の二代目を継いだ又助の刀である。なお寛文に入ると後に三代目を襲名する四郎右衛門による代銘作がまま存在するが、本作の銘振りも四郎右衛門手と鑑せられる。
この刀は、身幅が尋常で元先の幅差が目立ち、反りが浅く、中鋒もやや詰まるなど、寛文新刀の時代的特徴が顕現している。
鍛えは鎬地が柾がかり、平地は板目肌がややつみ、地沸が厚くつき、細かに地景もよく入るもので、かねに黒みがあるが、肌立ちや白けなどがないため古刀期の北国肌のような濁りは窺われず、スッキリとした新刀然とした地鉄となっている。そして刃文は兼若一門の御家芸的作風の箱刃乱れを焼いており、如何にも兼若と思わせる作品であった。
本作は後代の兼若にまま見られる単調な箱刃乱やその逆に大仰に乱れたものと異なり、総体に行に崩れ、匂口の幅の広狭や沸づきも一様とならず変化ある風合いを示し、刃中や刃境の働きも程よく豊かに入るなど、位のある作柄から初代と見た意見があり、尤もな捉え方とも言える。
ただし、初代ならば身幅が広く鋒の延びた慶長新刀姿か、後期作の身幅尋常な作であっても反りが目立ち踏張りがつく寛永新刀姿となろう。また、帽子が素直に直ぐに小丸に返るものは後代に多いことも勘案したい。
(刀剣美術より。)