日本刀の形態研究(八)
日本刀の形態研究 第四章 日本刀の発展について
第三節 長光、景光、國行、國俊時代(中古刀前期)
日本刀の歴史において後鳥羽上皇の御治世が第一の興隆期であるとするならば、元冠は第二の躍進時代の契機をなすものであったという事が出来ます。
元冠は我国にとって未曾有の大事であり外敵との対戦において並びなき大規模の戦争でしたから、鍛刀界も俄かに多事多端となりこれが作刀の技術の上に興りえた影響は極めて顕著なものがあったのです。この時数多く輩出した刀匠の中で長船長光、景光、山城来國行、國俊は最も傑出したもので、それら作品の特徴は時代の趣を代表するものですからこの時代は彼らの名前を附ける事によって示します。
元冠の日本刀の作風に興った影響として最も顕著なるは一文字風丁子から直丁子の至直系統の刃文へ移る事であると考えられます。これが中心をなすものは長船長光及び来國行一派それに備前三郎國宗です。
一文字丁子の完成は父祖の栄光に対する不断の憧れにあったのですが、技術的には丁子刃が時代と共に巧みさを増し外観の華やかさを加えていったように見受けられます。それは研磨の精密ではなかった当時にあって単に地刃の界の模様を明瞭にする努力であり又切味を表現する為であろう事も前にいった通りですが、これが段々と焼刃深く鎬に達する程著しいものがあるようになって、実用的見地からは危険なものも少なくなかったと思われます。その様なものは元冠の役において折れたことも少なからずあったのでしょう。急激なる直丁子への変換は無言の中にもこの事実を語る如く思われます。
先長船鍛冶の頭領長光に付いてみると父光忠は福岡一文字の系統をつぐ絢爛たる丁子です。長光も初期時代にはやはり父と同様の丁子を焼いています。それが次第に直丁子へ変わっていくのはやはり元冠の体験によるものであります。これを以て光忠の技術が長光以上であったとする事は出来ないのです。どうかすると華やかな出来を上手と称し、淋しいものを下手とする一般の通念は改められなくてはならないと思います。
来国行の作は長光とは少しく異なった趣があり焼巾広い直丁子ですが、その時代はやはり弘安頃です。子国俊においては二字国俊といわれる初期作品は(二字国俊と本国俊とは別人の作と考えられる方がありますが、私は同人の手になると考えます。)比較的華やかな丁子でありますが、後には直二重刃、直互の目足入りにて一層淋しい刃文となっていきます。國行より國俊への時代は備前における長光から景光へ至ると略同例年代に当たるものです。
また山城粟田口鍛冶にあっても國吉は弘安前後に活躍した刀匠と見られますが、作品は直二重刃で短刀作者として聞こえの高い國吉の子吉光は直小互の目の刃文で、この頃に至ると全国的に直系統の刃文が多く現れてくるのです。
備前の如く一文字以来の伝統を以て丁子の盛んに行われていた所では直丁子、直という順序を経てくるのですが、丁子、直丁子の作られない所では古くからの直小乱やその他小乱系統の刃文に終始するのです。粟田口一派や大和手掻包永一派はその例と見られるものです。
直刃(足入りのない)は常にいう通り、決して古い時代からあった素朴的な刃文ではなく一度直丁子や直小乱の試練を経て初めて出現可能になる所のもので、やはり元冠以後の刀剣における作風といわなくてはなりません。共は焼の深い大丁子の非実用より転化して直丁子となり直小乱や直二重刃の洗練されて直刃に至るもので、一度実用の門をくぐって完成されたものといいえるでしょう。ですから直刃はそれを以て有名な粟田口や大和鍛冶の作品よりもそれと等しい時代にある且山城鍛冶の系統なる相州の新藤五國光や行光において完璧なものに接するのですが、その頃に至れば主として短刀作品のみ多く純粋実用的見地によって造られ少し疑問視すべきものがあります。
以上において丁子系統より直刃に移り行く事は元冠の戦役を機として全国的に移り行く作刀上の変換の如く見られる事は了解できると思います。これは私が作品の裏年号を基礎にして刀工の時代を出来る限り正確に決定し総合的に組み合わせ大観する時自ら知られる傾向で、従来の如く全ての刀工を国別に分類し作風の相違を伝法流派によって説明しようとする方法からは思い及ばないところです。「粟田口には直刃多し」というように流派の特徴の如く説かれていたものも実は備前にては長光が直丁子を作り、吉光の直刃足入りの時代には景光によって直刃が作られているのです。ましてや同国の山城にては来国俊が直互の目足入りのものを焼いている事を注目しなくてはなりません。大和包永の作品も恐らく同様な時代にあるべき事が玉垣刃と称せられる刃文や直乱よりして推察されるのです。このようにして裏年号のない作品の多い刀工の時代を決定するにも作風の条件によって大略時代を推定する事ができるのでして、従来の如き国別による鑑定法は往々時代をつり上げる事になりがちでしてそれが名人崇拝の心理より同時代の周囲の作者達と作風異なるをも意に介せず却ってこれが技術的に優秀かの如く誤られる場合が多いのです。そのような誤解を避けるため私は従来率直に意見を述べたところ私の独断に出るかの如く解せられてきたことが度々ありました。
しかし私の研究によれば、刃文において直刃系統に移り行く根底には元冠の戦が強く刀剣界に影響したものである事を考えざるをえないのです。
(日本刀要覧より。)