日本刀の形態研究(十四)ー二
日本刀の形態研究 第四章 日本刀の発展について
第十節 水心子、直胤、清麿時代(新々刀)ー二
〇現代
現時支那事変は日本刀の歴史に於いて最大の変革期をなすものであろうと私は考えます。
日清、日露、青島の三役が夫々明治廃刀令以後武士と袂を分った日本刀が再び帝国軍人によってその精華を発揮し、その実用的価値の方面に深い意義を有つものであったのですが、尚その使用に於いて日本刀が戦闘に於ける役割は比較的重大でなかったといえるので、近代戦に於ける日本刀の深き意義についてはなお充分に反省されなかった様に思われます。
事実その時代はまだ西欧強国に遅れていた軍備の水備を高めんと努力しつつあった過渡的時代たる為、なお日本刀の真価そのものも発揮されない時にあったという事が出来ます。
しかし昭和六年満洲事変以後は従前の戦役とは異なり既に科学兵器の進歩と共に、却って日本刀の如き原始的と見える武器の役割が重大となった事が明らかとなりそれが今次支那事変に於いては著しく強張され、益々その重要性が認識されるに至ったのです。
支那事変は実に我が国にとって明らかな大事業であり未曾有の大軍を彼の地に派遣する事に於いて、日本刀の世界にも一大変革を孕みつつあるのです。
第一は従来にあっては日本刀の古作品の豊富に存在する事によって軍人の佩刀は充分に配給されたのに、今度は急激な需要の増大にあって過去の作品は漸く不足を感じるに至った事よりして新たに現代刀工の活躍が著しくなった事が数えられ次には従来深く考えられるに至らなかった大陸の気候的制約が考慮されるに至った事、一方過去の作品のそれに対する順応性の検討と共に、新たなる対策が現代刀工の手によってなさるべき事等が関心の的となってきたのです。
次に近代戦に於ける日本刀の重要性と共に寸法重量等造込みに対する反省が自ら是に応ずる様になされるに至った事等種々の方面に於いて現代に適わしい日本刀の新たに生まれるべき種々の条件は往事の日本刀の不足を補うためのみでなく、独自の立場にて作製されるべきを示唆しているのです。
かくして現代刀工の活躍は最近著しいものがありますが、なお一般の関心はとにかく古き作品に一種の憧れを持つ事によって現代の作品を軽んじる傾向があるのは少し遺憾です。この事は非常な誤りです。現代刀工の技術なり心構えが足りないのならばそれを難ずるのはよいのですが、現代刀をも過去の作品を復元するべきものと観念して劣るというのであり、又過去の作品に似ないというのであるならば、その事自身不当といわなくてはなりません。現代刀に飽き足らない人々の心中にはその様な考えが無意識ではありますが潜んでいる如く思われるのです。
現代の作刀は過去のそれとは目的も条件も全て異ならなくてはなりません。即ち大陸に於ける使用と近代戦の武器として相応しい機能とはこれによってのみ見るのも過去の日本刀と同様のものである事は許さないでありましょう。なお又迅速に多量に生産される事が必要であり武器供給の生命がそこにあるとすれば古法の如き素材なる方法による事も許されない事もあり得るのです。
ここに於いて現代刀工の努力は現代の科学的知識と加えるに鍛冶の卓抜なる手腕を併せ備えて現代の目的に集中されなくてはなりません。又一方大規模な機械的生産によってする方法も研究されるべきでしょう。
日本刀の使命が重要であればある程過去の方法によって造られるもののみ日本刀というべき考えは除かれなくてはならないと思います。
この意味に於いて九段日本刀鍛錬社、日本刀博習所(栗原彦三郎氏等)の団体的製作機関、柴田果、高橋義宗貞次兄弟、堀井俊秀、月山貞勝、貞光父子、宮口壽廣、梶山靖徳、笠間繁継、吉原国家氏等現代一流の刀工の活躍が期待されると共に満洲刀や世界的製鉄学権威本多光太郎博士等によって試みられつつある科学的生産の方法、本間順治氏、岩崎航介氏等指導に依る月刊作刀研究の発刊なども大いに敬意を拂うべきだと思います。
○壽格(濱部)「天明ー因幡」
刀、脇差、地鉄無地風、刃文匂締りたる小丁子、菊花丁子、細直など。
○朝尊(南海太郎)「天保ー山城」
刀、脇差、短刀もある。地鉄強く、刃文匂締りたる丁子、又は中直刃、稀に彫刻を見る。
○兼定(和泉守)「明治ー岩代」
刀多く短刀もある。地鉄肌綺麗に現れるもの多く、刃文は直又は互の目乱れ揃うもの。
○綱俊(長運斎)「天保ー武蔵」
刀多く、平造脇差もある。濤乱刃津田助廣の如くですが、地鉄強い点が異なる。丁子刃は固山宗次の如くなるも元直の焼出しを見る。
○長信(高橋)「天保ー武蔵」
刀多く短刀もある。丁子揃いたる刃文。匂沸足深く入りたるものが多い。時に剣巻龍の彫刻を見る。
○直胤(大慶)「天保ー武蔵」
刀多く、脇差、平造脇差、短刀など、長巻も見る。作風多様にして若年の頃は濤乱刃があり、壮年に及んでは逆互の目、逆丁子、丁子など、又は姿豪壮なるものに大乱れ相州伝のものがある。地鉄は板目の中に渦巻肌を現す直胤独特のもの、刀身に本荘義胤の作になる額内剣巻龍等がある。
○宗次(固山)「安政ー武蔵」
刀多く、脇差、平造脇差、短刀もある。地鉄は小杢目のものと大板目肌のものと二様ある。刃文は初期互の目丁子華やかに後に締りたる作風に変る。偶々梅龍などの彫物を見る。
○信秀(栗原)「元治ー武蔵」
刀多く、脇差、平造脇差、短刀もある。作刀身幅広く切先延び先反りの気味、地鉄板目、刃文互の目乱金筋砂流多く交わる。彫刻巧みにして刀身に這龍不動梅枝等種々の図柄の彫がある。
○徳勝(勝村)「元治ー常陸」
長刀多く、地鉄柾目肌刃文直砂流。
○正義(細川)「天保ー武蔵」
刀、脇差、短刀(先反、無反)共に多い。相州伝風の大乱れ沸沈みたる刃文に大板目を配したもの及び丁子匂締り足入り縦横にて重花となるものと二様ある、稀に龍梅、龍の彫刻を見る。
○正幸(伯耆守)「寛政ー薩摩」
刀、脇差、平造脇差、身幅広く大切先になるもの多い。地鉄板目、刃文互の目尖り揃って荒沸足深く入る。芋のツル如き焼刃交わるものもある。龍旗鉾などの大振りの彫刻を見受ける事もある。
○正繁(手柄山)「寛政ー磐城」
刀、脇差、平造脇差など。濤乱刃尖り刃を交えるもの又は中直匂深いものなどがある。時に彫物龍の横に著しく巾取れるものがある
○正秀(水心子)「文化ー武蔵」
刀、脇差、平造脇差、短刀。初期濤乱刃、直乱れの大出来なもの多い。又大乱、大板目純相州伝風のものもある。後には地鉄無地風、小丁子匂締るもの、中直刃などを主として作る。刀身には時に龍などの自作彫及び本荘義胤の手になる緻密精巧な額内剣巻龍が見られる。
○是一(運壽)「元治ー武蔵」
刀、脇差、平造脇差、短刀、身幅広いもの長刀などあり、地鉄は小杢目無地風のもの、又は板目肌綺麗なもの、刃文は丁子、直刃の沸深く足入るもの、又は乱刃華やかなもの等。
○貞一(月山)「明治ー大坂」
刀、脇差、平造脇差、短刀。初期作は豪刀反浅く、刃文直もしくは大乱華やかなもの、晩年は軍刀身を主とし丁子刃を多く作る。又各伝に通じ各種の刃文を物し鍛えも杢板目、柾目乃至は奥州月山の綾杉肌なども造っている。彫刻又巧み。
○清麿(山浦)「弘化ー武蔵」
刀、脇差、平造脇差、短刀と種々あるが、概して太刀多く造込み姿よい。初め丁子風の乱れ後相州伝の板目肌互の目乱砂流金筋多く交わるものを作る。
○元平(大和守)「文化ー薩摩」
刀、脇差、平造脇差、作刀身幅広く、地鉄板目よく練れ、刃文は直又は互の目乱れ何れも荒沸つき深いもの。
○祐永(加賀介)「天保ー備前」
刀、脇差、短刀など、地鉄は無地風にして光強い。刃文締りたる小互の目丁子足入り鮮明なもの、元直の焼出しがある。
(日本刀要覧より。)