広島県の日本刀・刀剣買取は銀座誠友堂へお任せください
全国日本刀買取 銀座誠友堂では全国から刀剣類、古式銃、甲冑、武具などの査定・買取を行っている国内最大級の日本刀専門店です。
東京 銀座の店舗では、200振を超える日本刀と多数の鍔・小道具に加え、約10領の鎧を展示・販売しております。
広島県は、名将福島正則に仕えた刀鍛冶の肥後守藤原輝広や、古三原鍛冶の代表である、三原正広などの刀匠を輩出しており、現在においても久保善博氏(善博)などの現代刀工が活躍しており、日本刀に深い御縁がある地域です。
銀座誠友堂では、広島県に眠っている日本刀や火縄銃、甲冑、武具を高く評価しています。
お手元にある刀剣類の売却、処分をご検討の方は是非当店にお問合せください。
買取方法には「画像オンライン査定」「LINE査定」などがございます。また無料の宅配キットを利用した「宅配買取」もございますので、お客様にとって便利な売却方法をご選択いただけます。
備州三原正久作の刀(上)と、広島県重要無形文化財保持者の芸州脇中貞幸の短刀(下)。それぞれ茎に「三原」(現在の広島県三原)、「芸州呉」の銘文が刻まれている(いずれも弊社商品)。
広島県の刀工(刀鍛治)
肥後守藤原輝広
初代の肥後守藤原輝広は、美濃国(岐阜県南部)の出身で、関の兼常の末孫として生まれ、のちに埋忠明寿に師事した名工です。
二代輝廣は尾張国蟹江刑部の子で、名を甚八、初銘を兼久、初代肥後守輝廣の門人となって、のち娘婿となり、当時清洲二十万石の領主であった福島正則が慶長五年(1600年)芸州廣島五十万石の城主として転封した際、初代輝廣とともに廣島に移住して、二代目を継ぎました。
福島正則のもと播磨守を受領し、正則の死後は、初め福島家、のちに広島藩浅野家に仕えた刀工です。
作風は、初二代同じく、湾れ・直刃調で美濃風。晩年は、沸が強く浅い湾れ刃なのが特徴でした。
初代と共に広島へ移住し作刀した二代 播磨守輝広の脇差(江戸時代初期、弊社商品)
三原派
三原派は備後国三原(現在の広島県三原市)に住した鍛冶で,鎌倉時代後期に興り、以後室町時代に至るまで大いに繁栄した流派です。
鎌倉末期から南北朝期の作を古三原と称しています。
それ以後室町時代の作を中三原と呼び,さらに末三原と戦国時代まで続きます。
同派は各時代を通じて大和物の影響が色濃くうかがわれ、直刃を得意としますが,大和物と比べ地刃の沸がやや弱くなる特徴があります。
鍛えは板目の中に杢目が目立ち、匂口が締まりごころとなり、帽子も穏やかとなるのが特色です。
現在の広島県三原市で作刀した古三原の刀(鎌倉時代後期、弊社商品)
貝三原
備後国三原(現在の広島県三原市)に住んでいた大和伝色が強い刀工集団のことで、鎌倉末期の徳治(1302)頃の正家を祖とする流派で南北朝時代までのものを古三原、室町期頃のものを末三原と云います。
三原派は後に分派し、その一集団である貝の字を姓にしている正近、正真、正盛、正行、等を貝三原と呼んでいます。
現在の広島県三原市で作刀し貝三原と呼ばれる三原住人貝正賀の刀(室町時代、弊社商品)
久保善博
久保善博は、千葉大学大学院を修了し吉原義人刀匠に入門し鍛刀技術を学びました。
平成6年に文化庁より作刀承認を受けると、新作名刀展に初出品して優秀賞・新人賞を受賞しました。
以降は毎年出品を重ね多数の特賞の受賞を果たします。
平成29年には、2度目となる高松宮記念賞を受賞して無鑑査刀匠に認定されています。
久保善博刀匠は、古刀期の作刀技法の再現を目指し、自家製鉄技術を追究して大学などで研究発表を行なうなどしていますす。
広島県庄原市西城町に拠点を置いています。
今後もさらなる活躍が期待される刀工です。
広島県の無形文化財保持者であり庄原市西城町で作刀している久保善博刀匠の太刀(弊社商品)
広島県からの刀剣類の買取実績
広島県のお客様の声
【宅配買取】広島県広島市南区 50代男性
兜を一点を郵送で送り、買い取ってもらいました。私が子供の頃は実家に飾ってあったはずなのですが、真っ赤に錆びてしまい飾ることも出来ないので、銀座誠友堂さんにお願いしました。捨てようかとも思っていた物だったので、少しでもお金になり良かったなと思います。梱包用の段ボールまでご用意してもらい、助かりました。買取後の入金も迅速にして頂きありがとうございました。
【出張買取】広島県三原市 50代女性
今回お願いした日本刀は父が所有していたもので、父からは高いものだと聞かされていたのですが、近所の買い取り屋さんの買取額があまりにも低く、専門店の誠友堂様にお願いしました。思ったよりは安い金額でしたが、それでも買い取り屋さんよりはずっと高い金額を付けて頂けました。電話で色々説明して下さり、資料まで送って下さり納得して売ることが出来ました。有り難うございました。
【宅配買取】広島県尾道市 40代男性
インターネットで調べて知りました。LINE査定で一番高い金額を頂いたのでお願いしました。特に不満な点はありません。迅速な対応でした。
広島県にまつわる日本刀
多くの名刀を残した毛利家
南北朝時代に安芸国吉田荘に拠点を移した毛利家は、室町時代後期には毛利の名を全国に轟かせるまでになりました。
第12代当主 毛利元就は、勢力を拡大し安芸国の吉川家と小早川家の勢力を取り込み、安芸国の支配権をほぼ拳中にしました。
三人の息子に宛て団結の精神を説いた「十四カ条の教訓状」は、三本の矢の逸話として有名です。
後水尾天皇より拝領した刀「豊前国□定秀」を御重代太刀と呼んで大切にしました。
また、豊臣秀吉の信任を受けた五大老の一人「毛利輝元」は、多くの刀を収集していました。
国宝「毛利藤四郎」、御物「一期一振」は、短刀の名手・粟田口吉光の刀で、毛利藤四郎は徳川家康に献上され「享保名物帳」に所載されます。
一期一振は吉光が鍛刀した数少ない太刀で、最高の傑作と言われています。
豊臣秀吉に献上されました。
御物「宗瑞正宗」は、豊臣秀吉より拝領した刀で、号の由来は輝元の法名「幻庵宗瑞」です。
徳川家に献上されました。
「阿部藤四郎」は、毛利水軍の一角を担った「福島元長」が広島城築城の際に献上した脇差です。
第27代当主 毛利敬親は、萩藩の藩主となると村田清風を表番頭と江戸仕組掛に抜擢し藩政を改革し、富国強兵を進め、藩校明倫館を拡張し教育を充実させました。
尊王攘夷派の雄藩となり、吉田松陰、高杉晋作など優れた人材を登用し倒幕へ大きな役割を果たしました。
これらの功績を称えられ、天皇より「波平安周」・「陸奥守藤原兼信」・「津田越前守助広」の刀3振を拝領しました。
「波平安周」は、平安時代から続く薩摩の波平一派の刀工です。
「陸奥守藤原兼信」兼信は、美濃国の刀工で、三本杉に似た刃文を得意としました。
「津田越前守助広/延宝八年二月日」津田越前守助広は、大阪新刀を代表する刀工で、江戸新刀の「長曽祢虎徹」と共に「新刀の横綱」とも言われています。
その作品は新刀最上位に名を連ね、更に山田浅右衛門吉睦の試し斬りによる切れ味の等級においても大業物に列せられています。
国宝「為次(狐ヶ崎)」を伝えた吉川家
鎌倉時代末に安芸国大朝荘に移住した吉川家には、正治2年に吉川小次郎経光が梶原景茂を打ち取った国宝の太刀「為次(狐ヶ崎)」が、家宝として伝わっています。
この太刀は、平安時代末期から鎌倉時代初期の備中国の刀鍛冶、青江為次の作品で、号の由来は、梶原一族を討伐した場所、駿河国狐ヶ崎です。
当時の姿のままの黒漆革巻包太刀拵が附いており、昭和8年1月23日に刀身、拵と共に旧国宝に指定され、昭和26年6月9日に国宝に指定されます。
青江為次は、平安時代末期~鎌倉時代に備中国で鍛刀した古青江派の刀工です。
古青江の作風は、細身の刀身で、小切先。地鉄は「沸映り」が立ち黒味を帯びます。
刃文は、小乱や小丁子で華やかなのが特徴です。
為次の最高傑作と言われる狐ヶ崎も沸映りが立つ鍛え、直刃に小乱れ、小丁子を交えた刃文です。
広島県で作刀する現代の名工・三上貞直刀匠
広島県山県郡北広島町に日本刀鍛錬道場を設立した三上貞直刀匠は、本名 三上孝徳、昭和30年に島根県邑智郡瑞穂町に生まれました。
昭和49年に人間国宝 月山貞一に入門し、昭和55年に独立しました。
新作名刀展において高松宮賞を2回、文化庁長官賞を2回、毎日新聞社賞を1回、その他数多くの賞を獲得し、平成7年に無鑑査刀匠に認定されています。
平成17年に伊勢神宮式年遷宮御装束神宝制作に奉仕し、平成23年に広島県無形文化財保持者に認定されました。
作風は、「相伝備前」を得意とし、長義の作品に倣った刀を多く鍛刀しています。
強靭な地鉄に、刃沸の強くついた乱れ刃を焼きます。
また、平成24年に新世紀エヴァンゲリオンに登場する「ロンギヌスの槍」を、弟子の橋本庄市刀匠と共に制作し話題になりました。
広島県の買取エリア
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