大阪府の日本刀・刀剣買取は銀座誠友堂へお任せください
大阪府からの刀剣類の買取実績
大阪府のお客様の声
【持込買取】大阪市阿倍野区 40代男性
居合で使用していた真剣を買い取って頂きました。売却をお願いした刀は、三年前に地元のお店で購入した物で、買った当初はバランスが取れていて、良品だと思ったのですが、実際練習で使用してみると思いのほかバランスに違和感を覚え、相性が合っていないと感じていました。その後二年ほど多忙で練習もままならない時期が続いたのですが、この度改めて居合に打ち込める時間が取れるようになりましたので、居合刀の新調を考え、誠友堂さんに下取りを依頼しました。東京のお店で色々と選ばせて頂き、大変バランスの良い刀を購入できました。満足しています。
【出張買取】大阪市天王寺区 50代女性
今回お願いした日本刀は、父が晩年まで収集していたものになります。数が15本ほどあったので、出張をお願いしました。他の業者さんにも頼みましたが、父から聞いていた金額よりかなり低い査定額で、東京のお店にもと思い出張買取を依頼したところ、快くお引き受けくださり、金額も、納得できる金額をご提示くださって大変助かりました。日本刀のほかに槍や小さな仏像など、いくつか細々した工芸品もあって、そちらもまとめて買い取ってもらいました。父が残したものでしたが、私たちでは管理していくのが難しいと思っていたので、まとめて買い取っていただけてとてもありがたかったです。この度は遠いところをどうもありがとうございました。
【宅配買取】大阪府堺市 70代男性
パソコンが使えませんので、色々御迷惑をおかけしましたが、大変親切に対応してくださり感謝申し上げます。長年集めていたものですが、なかなか手放す決心が付かず、今回娘に誠友堂さんを探してもらいようやく整理できました。今回売却した刀が、お好きな方の手に渡って大切にされることを望んでいます。
大阪府の買取エリア
大阪市都島区、大阪市福島区、大阪市此花区、大阪市西区、大阪市港区、大阪市大正区、大阪市天王寺区、大阪市浪速区、大阪市西淀川区、大阪市東淀川区、大阪市東成区、大阪市生野区、大阪市旭区、大阪市城東区、大阪市阿倍野区、大阪市住吉区、大阪市東住吉区、大阪市西成区、大阪市淀川区、大阪市鶴見区、大阪市住之江区、大阪市平野区、大阪市北区、大阪市中央区、堺市堺区、堺市中区、堺市東区、堺市西区、堺市南区、堺市北区、堺市美原区、岸和田市、豊中市、池田市、吹田市、泉大津市、高槻市、貝塚市、守口市、 枚方市、茨木市、八尾市、泉佐野市、富田、藤井寺市、東大阪市、泉南市、四條畷市、交野市、大阪狭山市、阪南市など。その他の大阪エリアの方もお気軽にお問合せください。
お問合せ方法
大阪府の日本刀
江戸時代、商業で大いに栄えた大坂(現在の大阪府)には優れた刀工が集まり、幕府の置かれた江戸と並んで多くの刀が作られました。
大阪は、新刀屈指の巨匠である、津田越前守助広や、助広と双璧を成す大阪正宗こと井上真改、二代河内守国助や明治期には月山貞一などの刀匠を排出し、現在においても月山貞利氏をはじめ、河内國平氏、池田良一氏や水野範忠氏などの著名現代刀工が活躍しております。
このように大阪府は、日本刀に深い御縁がある地域なのです。
銀座誠友堂では、佐賀県に眠っている日本刀や火縄銃、甲冑、武具を高く評価しています。
お手元にある刀剣類の査定・買取・売却、処分をご検討の方は、是非銀座誠友堂にお問合せください。
査定方法には「画像オンライン査定」「LINE査定」などがございます。
また無料の宅配キットを利用した「宅配買取」もございますので、お客様にとって便利な売却方法をご選択いただけます。
日本を代表する大阪の刀工、井上真改、河内守国助(二代)、津田越前守助広の刀(上から順)と、
「於浪花」と彫られた、大阪で活躍した人間国宝・月山貞一の短刀(いずれも弊社商品)。
大阪府にまつわる日本刀
二代河内守国助
二代河内守国助は、初代国助の子で小林八郎右衛門と称しました。
初銘は国豊です。
二代河内守国助である為に俗称、中河内とも呼ばれています。
小板目肌よくつんだ鍛えに、華やかな丁字を主調とした、世に「拳形丁字」と称される彼独特の握り拳形の丁字を焼きます。
その刃文は誠に華やかで新刀一文字と呼ばれることもあります。
二代河内守国助は、備前伝の名手で大阪新刀を代表する刀工です。
大阪新刀を代表する二代河内守国助の華やかな拳形丁子を焼いた地刃共に健全な一振(江戸時代中期、弊社商品)
津田越前守助広
大阪新刀を代表する津田越前守助廣は、長曽弥虎徹、井上真改などと並び新刀を代表する名工の一人で、その作品は新刀最上作に名を連ね、更に山田浅右衛門吉睦の試し斬りによる切れ味の等級においても大業物に列せられております。
特に大坂新刀特有の華麗な作風が支持されて、刃の冴えと明るさは新刀屈指とも云われています。
津田越前守助廣は寛文14年(1637年)摂州打出村(現在の芦屋)に生まれました。
通称、甚之丞といい、初代そぼろ助廣門に学び、明暦元年、師の没後2代を継ぎました。
明暦3年越前守を受領し、寛文7年には大阪城代青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和2年(1682年)に四十六歳で没しています。
作風は初期に、石堂風の丁子乱れを、ついで互の目乱れを焼き、さらに濤乱乱れという独特な刃文を創始するに至り、一世を風靡しました。
またそれとは別に直刃も非常に巧みであり、同地大阪の井上真改の直刃と双璧と云われています。
濤乱乱れという独特な刃文を創始した、大阪新刀を代表する津田越前守助廣の一振り(江戸時代前期、弊社商品)
井上真改
井上真改は、初代和泉守国貞の次男として寛永7年(1630年)に生まれ、父国貞没後二代目を継ぎました。
慶安頃は父の代作代銘を切り、その流れで初銘は父と同じ和泉守国貞です。
承応元年に和泉守を受領して、万治4年(1661年)朝廷より菊紋を茎にきることを許され、寛文12年8月以降は(1672)井上真改と改銘しました。
彼は東の虎徹、西の真改と助広、大坂正宗とも賞賛され、冴えた刃文で津田越前守助広と共に大阪新刀を代表する双璧と称えられています。
また刀は利き味も優れるとされて業物に名を連ねます。
大阪新刀を代表する井上真改の地刃共に明るく冴えた一振り(江戸時代前期、弊社商品)
月山貞一
月山とは出羽国月山を拠点に蝦夷の御用鍛冶として繁栄した伝統ある奥州月山鍛冶の末流です。
月山貞一(二代)二代貞一は明治40年(1907年)月山貞勝の三男として大阪鎗屋町に生まれます。
13歳頃より刀修行の世界に入り、本格的な仕事を行ったのは18歳の時と伝えられています。
最初銘は貞光(さだみつ)。大正13年の第一回大阪市美術協会展で入選を果たし華々しくデビューします。
間もなく戦時となり、父貞勝が没して二年後には大東亜戦争終戦を迎え日本刀の制作が禁止されてしまいます。
二代貞一は初代貞一が経験した「廃刀令」を思い、月山の伝統を守るため九年間に及ぶ苦難の時を耐ます。
昭和41年には二代貞一を襲名、翌年から3年連続で新作名刀展で最高賞を受賞。
昭和46年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されます。
昭和54年には勲四等旭日小授章賞を受章します。
平成7年に没するまでの八十七年間、ひたすら日本刀を思い作り続けた名匠です。
子息の月山貞利も無形文化財となり、全日本刀匠会会長を勤めました。
大阪に生まれ重要無形文化財(人間国宝)に認定された月山貞一の一振(明治18年、弊社商品)
河内國平
河内国平刀匠は、十四代河内守国助の次男として1941年に大阪で出生します。
1966年、関西大学法学部卒業後、人間国宝宮入昭平(後の行平)に入門し相州伝を習得します。
1972年に独立し東吉野村平野に鍛刀場を設立。
その後、1975年に「佐藤栄作名誉会長賞」、1978年に「毎日新聞社賞」、1979年に「最高賞高松宮賞」、1980年と1981年に「薫山賞」、1983年に「全日本刀匠会会長賞」、1986年に「日本美術刀剣保存協会会長賞」、1987年に「文化庁長官賞」と、栄えある賞を連続受賞します。
この間、1981年に奈良県立文化会館にて個展開催し、1984年には人間国宝隅谷正峯に入門し備前伝を習うなど技を磨きました。
1988年に日本美術刀剣保存協会から、最高位の刀匠の証である「無鑑査」認定を受けてからは、文化庁美術刀剣刀匠技術保存研修会講師、刀職技能訓練講習会講師、短刀小品展審査委員、橿原考古学研究所藤ノ木古墳出土刀剣復元委員などを務めました。
1989年には東吉野村無形文化財指定、奈良県卓越技能者撰定を受けます。
1993年と2013年の第61回、第62回神宮式年遷宮用の太刀と鉾を制作。1995年に刀剣製作古法「大和伝」を修得し、2005年、奈良県無形文化財保持者となられました。
2010年には厚生労働大臣より卓越技能者(現代の名工)として表彰されました。
2014年には、「新作名刀展」に出展した「國平河内守國助(くにひらかわちのかみくにすけ)」で、現在の玉鋼では不可能といわれていた古刀の特徴である地紋の「乱れ映り」の再現に完全に成功し、刀剣界の最高賞と言われる「正宗賞」(太刀・刀の部門)を受賞。太刀・刀の部門は長らく「該当なし」であり、18年ぶりの快挙でした。
国平氏は乱れ映りのメカニズムを解明、ほぼ完全に再現することに成功します。
これにより同年に黄綬褒章を受章しました。
十四代河内守国助の次男として大阪で出生。黄綬褒章を受章した河内國平の名刀(平成10年、弊社商品)
池田 良一(良一)
(連絡先)〒590-0007 大阪府堺市堺区北庄町1-3-10 072-233-6372
水野 範忠(淳)
(連絡先)〒590-0927 大阪府堺市桜之西町1-1-27 072-229-3253
大阪府の刀工(刀鍛治)
商業の中心地として発展した大阪には、多くの優れた刀鍛冶が移り住み鍛刀しました。
中でも「津田助広」「井上真改」「一竿子忠綱」は、「大阪新刀の三傑」と呼ばれる名工です。
津田助広
津田助広は、播磨国の出身です。
「初代 河内守国助」の門人で晩年には越前守を受領します。
”そ本ろ(そぼろ)”と添え銘が入るために、ソボロ助広と呼ばれています。
切れ味の位列において最高位の最上大業物と評価されています。
2代目の津田越前守助広は、井上真改と共に大阪新刀を代表する刀工で、江戸新刀の「長曽祢虎徹」と共に「新刀の横綱」とも言われています。
その作品は新刀最上位に名を連ね、更に山田浅右衛門吉睦の試し斬りによる切れ味の等級においても大業物に列せられています。
生まれは摂津国(兵庫県)で初代助広の養子となります。
明暦3年に越前守を受領します。
生涯で1700点あまりの作品を鍛刀したとされます。
「濤瀾乱れ」(とうらんみだれ)と呼ばれる、大海原の波が寄せては返す様子に似た、華やかな刃文を創始しました。
重要文化財「津田越前守助広/延寶七年二月日」、重要美術品「弥吉助広」等が代表的な作品です。
井上真改
井上真改は、「大阪正宗」とも呼ばれ、津田越前守助広と大坂新刀の双璧をなす刀工です。
生まれは日向国。
名工「井上国貞」の次男で、本名は井上八郎兵衛吉次といいます。
9歳から父のもとで鍛刀を学び、20歳のころには父の代作を打っていました。
慶安5年に国貞を襲名し、和泉守を受領します。
飫肥藩伊東家のお抱え鍛冶として、藩主の許可無く注文を受けない「御止め鍛冶」でした。
作品の特徴は、大坂新刀屈指の美しさと評される精緻な地鉄です。
地沸厚くつき、刃文は直刃、大湾れ互の目で匂口冴え、刃中には沸がよく現れて華やかです。
重要文化財「井上真改/菊紋 延宝二二年八月日」、岡山藩主池田綱政が延宝6年に吉備津彦神社に奉納した「太刀 井上真改」等が代表作でしょう。
一竿子忠綱
一竿子忠綱は、鎌倉時代の京都の刀工「粟田口忠綱」の末裔。父である初代忠綱が大阪へ移住しました。
3代にわたって大阪で鍛刀し、特に2代目は「彫りの無い一竿子は買うな」と言われるほどの彫刻の名手でした。
独鈷付き素剣、剣巻龍、梅倶利伽羅、鯉の滝登りなどを彫ります。
重要文化財「粟田口一竿子忠綱彫同作/宝永六年八月吉」、旧国宝指定「粟田口一竿子忠綱彫同作寶永六年八月吉」、彦根藩主井伊家伝来「粟田口一竿子忠綱/正徳三年二月吉日」等が有名です。
「河内守国助」は、伊勢亀山の生まれ、山城に出て堀川国広の門人となりました。
国広没後に和泉守国貞と共に大阪に出て大阪新刀の祖となります。
2代目河内守国助は、中河内と呼ばれ、「拳形丁子」と称される握り拳形の丁子刃文を創始しました。
丁子の作品は誠に華やかで「新刀一文字」と呼ばれ、備前伝の名手として知られています。
「鬼神丸国重」は、備中国の生まれ、水田派の安左衛門国光の子で大阪に出て2代目河内守国助に師事しました。
武蔵国、陸奥国、薩摩国などにて鍛刀した後、摂州豊島郡池田町に定住し、池田鬼神丸国重と改めました。
新選組三番隊組長、斎藤一が使ったとされ有名です。