佐賀県の日本刀・刀剣の査定・買取は銀座誠友堂へお任せください
佐賀県からの刀剣類の買取実績
佐賀県のお客様の声
【出張買取】佐賀県佐賀市 70代男性
約20年をかけ、刀剣を20振ほど収集しておりました。最近は出来のいい物だけ残し、他は手放そうかと考え、誠友堂さんに買取を依頼しました。持ち物の中で程度の良い3振を残し、他は売却をお願いしました。誠友堂さんの社長様とは面識があり、大刀剣市で初めてお会いした際に社長様の御心に触れ、本当に日本刀がお好きな方なのだと感じました。今回のお取引はとても満足しております。良い品を見極める真の審美眼をお持ちの方です。
【宅配買取】佐賀県佐賀市 60代女性
古物商をしていた古い友人が、譲ってくれた短刀を買い取っていただきました。価値はまったくわかりませんでしたが、年に数回手入れをしていたこともあり、プロの目から見ても錆はなく良い状態だとの事で、高額に買い取って頂きました。手続き方法などを何度もお電話で確認したのにもかかわらず、丁寧に対応してくださり、とても感謝しています。この度はありがとうございました。
【宅配買取】佐賀県佐賀市 50代男性
若い頃に購入した刀3振りを買い取って頂きました。近頃あまり手入れもしていなかったので、現金化することができて満足です。
佐賀県の買取エリア
佐賀市、唐津市、鳥栖市多久市、伊万里市、武雄市、鹿島市、小城市、嬉野市、神埼市、神埼郡吉野ヶ里町、三養基郡基山町、三養基郡上峰町、三養基郡みやき町、東松浦郡玄海町、西松浦郡有田町、杵島郡大町町、杵島郡江北町、杵島郡白石町、藤津郡太良町など。その他の佐賀県エリアの方もお気軽にお問合せください。
お問合せ方法
佐賀県の日本刀
佐賀県は、肥前国(現在の佐賀県と壱岐・対馬を除く長崎県)は鍋島藩の刀鍛冶であった肥前国忠吉や、その二代目の肥前国住近江大掾藤原忠広、三代目の肥前国住陸奥守忠吉がいて後代八代に渡り繁栄しました。
他にも名だたる刀匠を輩出しており、現在においても中尾 一吉(一吉)、西村 直真(淳)などの現代刀工が活躍しています。
佐賀県は日本刀に深い御縁がある地域です。
銀座誠友堂では、佐賀県に眠っている日本刀や火縄銃、甲冑、武具を高く評価しています。
お手元にある刀剣類の査定・買取・売却、処分をご検討の方は、是非銀座誠友堂にお問合せください。
査定方法には「画像オンライン査定」「LINE査定」などがございます。
また無料の宅配キットを利用した「宅配買取」もございますので、お客様にとって便利な売却方法をご選択いただけます。
「肥前国(現在の佐賀県・長崎県)」と銘が切られた、肥前を代表する刀工・肥前国陸奥守忠吉の刀(上)と、現在も佐賀県武雄市で作刀する肥前国一吉の刀(下)(いずれも弊社商品)
肥前国忠吉
初代忠吉、元亀3年(1572)~寛永9年(1632)は元亀三年に佐賀郡長瀬(現在の高瀬村)に生まれました。
本名は橋本新左衛門尉忠吉と称し、肥前刀の開祖であり名工です。
鍋島直茂に録二十五石で召抱えられ、慶長元年(1596)25歳のとき、藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に入り学びます。
慶長三年に帰国して、佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに栄えました。
元和10年に、武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めます。
慶長10年頃より、小糠肌に直刃や湾れ刃、互の目丁子刃などを焼くようになり、肥前刀と呼ばれる作風を確立するに至ります。
忠吉一派開祖 初代忠吉の刀(江戸初期、弊社商品)
肥前国住近江大掾藤原忠広
肥前忠吉家嫡流二代目、近江大掾忠広は、初代忠吉の嫡子で平作郎といい、寛永9年から作刀が見られ、同18年7月に近江大掾を受領、元禄6年81歳で歿しました。
この間作刀歴は六十有余年におよび、肥前刀中でも最も多くの作品を遺しています。
近江大掾藤原忠廣(忠吉二代)の刀(江戸初期、弊社商品)
肥前国住陸奥守忠吉
陸奥守忠吉は近江大掾忠広の子で、万治3年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に改名。
貞享3年、80歳の高齢をもって天寿を全うした父に先立って、五十歳の若さで没しています。
二代近江大掾忠広が嫡子陸奥守忠吉(三代目)の亡き後は、孫の近江大掾忠吉(四代目)を指導したと伝えられています。
このように陸奥守忠吉は作刀期間が短かった事、父の代作に任じていた期間が長かったことで、在銘遺作は極めて少なく、在銘品は大変貴重な御刀ということになります。
作刀期間が少なく作品希少である肥前国住陸奥守忠吉(忠吉三代)の刀(江戸初期、弊社商品)
肥前住播磨守藤原忠国
肥前忠国。江戸初期の寛永頃の刀匠で、広貞の子と云われています。
初代「忠吉」の異腹弟「吉家」次男で俗名は橋本六郎左衛門。佐賀藩に仕えました。
初名は広則。寛永11年に播磨大掾を受領し忠国と改名します。
肥前国住播磨大掾藤原忠国、播磨大掾藤原忠国、肥前住播磨守藤原忠国などと銘を切りました。
肥前住播磨守藤原忠国の刀(江戸初期、弊社商品)
一肥前国出羽守行廣
江戸初期の肥前刀を代表する名工です。
一肥前国出羽守行廣、一肥州出羽守行廣、肥前出羽守藤原行廣、などと銘切りします。
新刀位列は上作、切味位列は業物にランクされています。
初代行広は初代忠吉の孫で、一文字のように、一と切るのは石堂鍛冶から備前伝を学んだ事に由来し、自らを肥前一文字と称しました。
この習慣は二代へ引き継がれました。
行広は鍋島家のお抱え鍛冶も勤めており、その手腕は大変優れております。
初銘は行永、貞享元年に出羽大掾を受領、後に守となりました。
元禄十四年六十九歳で歿するまで数多くの名作を鍛刀しました。
一肥前国出羽守行廣の脇差(江戸中期、弊社商品)
中尾 一吉(一吉)
(連絡先)〒843-2201 佐賀県武雄市北方町志久高野2514-4
西村 直真(淳)
(連絡先)〒849-0922 佐賀県佐賀市高木瀬東6-10-21